なんでもよいからとにかく書くやつ

五秒で飽きたけどまた再開した

「わたしの星」を見たので感想とか考察とか②

というわけで続き行きます。

・イズミ×イオ
「火星でのホットな青春(特に恋愛)を夢見る女の子×実はイズミのことが好きでこのまま地球でずっと一緒に過ごしたいと思っている女の子」
ここは一年生同士のコンビ。一年生はこの二人だけ(多分)。
一年生なので特に若くてテンションが高い。そして二人だけの一年生なのでいわゆるニコイチ。特にイズミは「上げて落とす」笑いが得意なのでテンションがジェットコースター。高い声と地声の差が激しいところとかも女子高校生特有の無邪気さという感じがしてとてもよかった。
自己紹介ラップやイオについて言う時の感じからして、イズミは自分の青春がこの小さな島で終わってしまうことに内心かなり焦燥感を抱いている。特に恋愛に興味があるらしく、ヒカリに「男はたくさんいる?」的なことを聞いてたのが可愛かった。あとやたらテンションが高かったり幽霊の話が好きなのは自分の青春をアドレナリンやスリルで彩りたいからなのかもしれない。イズミはイオがバイオリンに打ち込んでいること(さらに言うとイオのバイオリン活動がイオの『町長の娘』という立場に支えられていること)を羨んでいて、時々嫌味めいたことを言う。
一方のイオはお嬢様で、バイオリンという趣味があり、仲間と…特にイズミと一緒にいることに幸福を感じていて、将来も高校を卒業したら火星に行くことが決まっているので不満はあまりない。スピカを探している時にお互いをスピカだと勘違いして近寄ってくるときイオがとても嬉しそうなのがとても可愛かった。
でもイズミはスピカを探す場面で突然、実は来年火星に行くとイオに軽い調子で言う。イズミは「二年後また会えるでしょ!」と言ってイオはジュンに告白しないのかとからかうが、イオは「私たちの二年は二年じゃない!」と叫ぶ。そしてイズミに「好きです」と言う。
ここの真っ正面からぶつかるイオはめちゃくちゃ可愛いし、凛としていて良かった。来年火星に行くと言われた時の動揺とか、「私たちの二年は二年じゃない!」とか、本当にイズミのことが大好きなんだなぁというのが伝わってきて良かった。
好きと言われて最初は茶化すもののイオが真剣だとわかって動揺するイズミも良かった。そして真面目に断るのがまた良かった。女の子同士だからというだけでなく、イズミは自分の人生をイオのために使うことは出来なかったというのが良かった。それはとても誠実で、イズミなりの落し前という感じだった。そして柴幸男さんは本当に百合が好きなんだなぁと思った。成長を拒否する箱庭的な百合というのもよくあるやつだなと思った。百合のまま成長することはできないなんてことはないと思うんだけどまあこれは性癖なので仕方がない。



ケンジ×ジュン「弟や他の生徒にいじられてばかりの優柔不断で話が長い兄×兄の後ろ向きな性格にイラついており彼をいじることで発破をかけようとしている弟」
ケンジがとにかく良かった。ジュンもチャラくて可愛いし良かった。ここの兄弟は本質的に真面目なんだなというのが良かった。
ケンジは真面目な長男なので空気を読むのがちょっと下手くそで、でもちょっとだけなのでみんなとふざけたりはできる。でもなんかずれている。可愛い。ジュンは軽やかでチャラい。調子がいいので女子とも打ち解けている。弟だからかちょっと子供っぽいけど、でも意外としっかりしている。
ジュンはボート大会で女子に負けた(二年とも負けているらしい)こととそれのせいで「負け兄弟」と女子に言われるのが悔しくて、筋トレとかもしている。ボート大会の回想でジュンはケンジが本気で漕がないことに怒る。「負け兄弟って言われて悔しくないのかよ!」「努力しないで負けて悔しくないのかよ!」でもケンジはあまり乗り気ではない。ケンジの心には学習性無力感的な諦めが根付いていて、努力しようという気にならないらしい。そしてそれは、ジュンが兄に発破をかけるためにケンジのことをみんなの前あるいはみんなと一緒にバカにしたことが原因になっている。
チャラくみえるジュンはジュンで実は真面目かつ繊細で、勝負には真剣に取り組むし、兄のかっこいい姿を見たいといつも願っている。ケンジはケンジで明るく振る舞うものの自分で自分のことを情けなく思っていて、なかなかその自分から抜け出せないことに少し疲れている。ここの兄弟愛はとても良かった。
ジュンがスピカに告白したと聞いてビビるケンジと「他に好きな人がいるって振られたよ」と聞いて「それってオレ!?」とはしゃぐケンジが良かった。あとケンジの「ごめーん(剣道)」も良かった。
スピカを乗せたロケットを見送って帰り際に振り向くケンジがとても良かった。あとジュンのモップさばきも良かった。



全体的にとにかく良かった。みんなでダンスするシーンもとても良かった。ダンスが「わが星」と同じ振り付けだったのでフフッてなった。
舞台が四角い舞台で真ん中に柱が二本立ってたんですが、あれはカセットテープを模しているらしい。
ダンスの時にそれぞれが組になって踊るんだけどイオがイズミと組んだ時に笑顔だったのが良かった。
たいちゃんのごてごてした服も可愛かった。

柴幸男さん、やってることはまぎれもなく高校生のエンパワメント(後進を育てているというか)だと思うんだけど、物語の内容とか、本物の高校生に「青春のきらめき」を演じさせる感じ、青春のきらめきを演出するために本当にきらめいている高校生を使うという感じ?とか、なんというかノスタルジーに片寄っていてちょっと若さの搾取(?)感があるのがなんかちょっと面白いと思った。搾取というと言葉が強すぎるんだけどなんか…。火星と地球の設定もおそらく都会と田舎の比喩だと思うんだけど、なんかこう、キラキラノスタルジーで片付けていいのか?みたいなことも混ざっていてヒヤヒヤした。
病気のヒカリにスピカの代役をお願いするシーンもかなりヒヤヒヤした。やらせちゃいかんやろと冷静に思ってしまった。


あと地球から火星への移住といえば「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」も移住の感じがかなり近くて、電気羊では「地球が核で汚染されたために人類の火星移住が進んでいるが、遺伝子異常がある人は火星に移住できないとされている。また少数の『変り者』が地球に留まることを選択している」という設定で、火星から地球に逃げてきたアンドロイドを主人公が仕留めていくんだけども、人がいなくなった地球で暮らす人の過疎の受け止め方がかなり違うなと思った。
「わたしの星」では「せまい島で少人数で閉じ込められて息苦しい」という感じなんだけど、「電気羊」では「広い土地とゴミという虚無の中で孤独に生きるしかない」という感じで、電気羊では「人数が少ないからコミュニケーションが濃密になる」みたいなことはない。過疎によって人との距離が離れてスカスカになるという感じ。
これはもしかして日本とアメリカの田舎や自然への考え方の違いなんだろうかと思った。日本では「虚無にとりかこまれる」みたいなのあんまりない気がする。まあ単に電気羊の舞台が都会だからかもしれない。
逆に火星から地球に短命の者が『逃げてくる』ところは似てると思った。

とりあえず一旦書ききったのでここまで。
また思い付いたら書きます。